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すずがブログ活動を始めた経緯
「誰かのために」が口癖の人生だった
高校を卒業し、役者に憧れて単身上京。エンターテイナー向けの専門学校へ進学し、卒業後は芸能事務所へ。事務所内の劇団でコツコツと演技の勉強と実践を繰り返し、端役で現場に出演させていただけることもありました。
事務所に所属できた時は本当に嬉しくて、芸能事務所がどんなところか、芸能界がどんなところかも知らずに浮かれていました。
自分が演技をすることで「誰かの笑顔になりたい」
自分の演技を見て「誰かの力になりたい」
自分が演技をしたいからという気持ちはありましたが、「誰かのために」と他人軸で考え動いていた私。
このあと、自分の限界を超えて追い込むことになります。
事務所の意向でお笑いにチャレンジ
売り出しに悩んだ事務所の指示でトリオを組んでお笑いを始めました。
実は、日本のお笑いは大の苦手です・・・自分の演技で笑ってもらえるのは嬉しいのですが、存在を馬鹿にされたり、ブスデブと容姿をいじられたり、いじったり・・・そういった日本の文化がどうも受け入れられず、最初は参加も大反対でした。
笑いのポイントも違う、笑いの間も違う。毎週何処かでライブをして休みはなく、バイトの時間も限られるのでお金もどんどん減っていく。
その頃の私は、池袋から新宿までの交通費が払えず歩くこともありました。1杯500円のラーメンが払えず、食事に誘われても断っていました。その中で言われたことを覚えています。
「お金がないって言うな。節約したらいいじゃないか」
限界まで節約していました。
ご飯は1日1食、バイトに入れた日は賄いをいただき、味噌を薄くといた具なしの汁、真夏はエアコンをつけずに全身に保冷剤をまき、冬はダンボールを布団の下に敷く。風邪をひいても病院に行くお金がないので自力で治す。
でも衣装は買わないといけない、必要な小道具も買わないといけない。
役者は個人事業主なので事務所ではなく、自分で全てを用意します。
周りを歩いている同年代の子たちがキラキラして見え、自分が好きで始めた役者なのに憎くて堪らない。認めてもらえないことが悔しい。
辛い、苦しいと吐露しても、「あなたは鬱じゃない、鬱はもっと苦しい」と誰からも否定されました。
自分を追い詰めてしまった結果、ある日天井を見上げたまま動けなくなりました。
ずっと天上のシミを数えている自分に気づいたとき、このままでは壊れると脱退を決意
神田駅のドトールで脱退を宣言し、お笑いを辞めました。
この頃には同じグループの人たちの顔を見ることすらできなくなっており、ギリギリのところで立ち直れたと今では思っています。
目指していた役者、そして芸能界を辞めようと思ったきっかけ
お笑いを辞めてからは演劇に専念しました。
専門学校で培った舞台の知識があったため、舞台を作り上げる中心に立ち、小劇場ならではの楽しさがありました。
ネックだったのは、お金と睡眠時間。
芸能界では未だに古き良き体制が色濃く残っており、ブラックな社会です。
・終電が過ぎても先輩がいたら帰ってはいけない
先輩から「帰っていいよ」と言われても、「いえ!もう少しご一緒させてください!勉強させてください」と隣にいなければいけません。
帰ると「あいつはダメだ」と言われるのです。
・食事の場では、先輩のために動く
新人の女性は、先輩俳優の隣に座ります。何をするかというと、料理の取り分け、飲み物の手配、空いた皿の回収、タバコに火をつける、灰皿を交換する、永遠に話を聞くです。
そう、無料のキャバクラです。
・人が寝ている間に稽古をする人が偉い
寝る間を惜しんで稽古に励む人ほど褒められます。毎日2時間寝られればいい方で、稽古中にうとうとしてしまったら死ぬほど怒られました。怒られるのは当たり前ですが、そのためには十分な睡眠時間が欲しかった・・・。
・お金がないと言ってはいけない
「お金がないから参加しません」は言ってはいけないと何度も言われました。
お金があるように見せろ、お金がないっていうからお金がないんだと。
・先輩に来いと言われたら行かないといけない
先輩や事務所から来いと言われたら、何をしていても行かねばなりません。1秒でも早く向かいます。プライベートなんてありません。今日はオフなので・・・なんて通用しない世界です。
毎日お金と睨めっこし、毎日睡眠時間は2時間くらい。飲みの席では、ずっと先輩のありがたいお話を聞かねばならず、無料のキャバクラ状態。
こんなに頑張っても、ぺこぺこしてもお給料にならない。私は何のために頑張っているのかと段々バカらしくなっていく自分がいました。
人生で初めての大きな商業舞台。一流の女優に圧倒されつつも、芸能界ってこんなとこなのか・・・と絶望に近い感情になりました。
扁桃腺摘出手術での出来事をきっかけに脱退を決意、芸能界を辞めた
上京してきてから毎年、ストレスと過労から扁桃腺を腫らしに腫らしまくっていた自分。
体調の安定を優先し、扁桃腺摘出手術することを決意します。
お金は何とか工面しました。
全身麻酔で8日間の入院、更に喉に管を通すため声が出せなくなります。
今回は舞台は出れないと思い、事務所にも事情を説明し出演辞退をお願いいたしました。でもなぜか出演が決定、声が出せないのでセリフのない役。正直立っているだけで足がフラフラでした。
入院中、療養が必要ということで一切連絡がなかったので、うまく稽古など舞台の準備は進んでいるのだろうと思っていました。
ところがどっこい。
退院して復帰した際、何も進んでいないことに驚きました。
全員が舞台初心者ならいざ知らず、何回か舞台も経験しているのになぜ誰もやろうとしないのか・・・。退院してすぐにBGM探し、舞台スタッフのとの打ち合わせ、舞台装置作成、大道具の手配、図面作成ととにかく大忙し。
手伝って欲しいと伝えると「あなたの仕事でしょ、あなたが好きでやっているんでしょ」と。
このままここにいたら、都合よく使い倒されるのではないか。
この一連の出来事が決定打となり、舞台役者の道を諦めることにしました。
ある日、先輩から1本の電話がかかってきます。
「あなたさ、今回の舞台やる気なかったでしょ」
元々、手術があるから出れないと言ったのに、有無を言わさず出演するしかなかったのに・・・と被害者面しても意味がない。
「やる気ないので辞めます」
もう何を言われても、私の中に何も湧き上がってこなかったので、その場で脱退となりました。
私自身、幼かった部分もたくさんあったと思います。自分に余裕なんて1つもなかったです。
他の人は実家暮らしが大半だったので、理解し合えなかった部分は仕方ないと思います。
今でも考えることはありますが、とても貴重な経験をさせていただきました。
芸能界の呪縛はやめてからも続く
数年にわたって、人格否定でした。
・ブス
・メイク似合ってない
・服似合ってない
・下手くそだな
新しいメイク、新しいジャンルの服と試しましたが、なかなか納得してもらえず。
辞めた後も2〜3年は自分でメイクをする、服を買うという行為ができませんでした。
友人に予算を伝えて、「お願い、選んで」といつも選んでもらっていました。
この芸能界の時のブラックな働き方、人格否定、暴言、パワハラ、セクハラが酷かったので、一般企業に入ってから何を言われてもへこたれないメンタルは身につきました笑
芸能界では常にレスポンスをしないといけなかったので、スマホ中毒になり、社内で1番と言っても過言ではない速さのレスポンスをして驚かれました。
これから芸能界を目指したい人へ、芸能界ほど頑張っても報われない世界はありません。
実力も大事ですが、顔と動員実績が全てです。全てのプライベートを投げ打ってでもやる覚悟が必要になります。
今は人生が楽しくなってきた。ようやく自分らしく生きられるように。
今では一般企業に就職し、やりたかったこと、行きたかったとこ、食べたかったものなど、ずっとずっと我慢していた自分の願いを1つずつ叶えていっています。
ようやくメイクも楽しむことができるようになったし、洋服も好きなものを買うことができるようになりました。
もっと自分らしく生きていきたい、もっと自分らしく発信していきたい。自分の経験を無駄にしたくないと発信する側になることを決意。
やっぱりどこまでいっても、表現者の道にいたいのが自分でした。
演劇から離れても、表現から離れても諦めきれないもの。
ブログを始めた理由、きっかけはここにあります。
私は至って凡人です。
でも、そんな私だからできることがきっとある。ブログはきっかけに過ぎません。
ここからもっと表現をしていくことへ、前向きに取り組んでいきたい
そんな思いでいつも記事を更新しています。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
あなたがあなたの人生をしっかり生きられますように。